助けようのないオレでも軍師になりたい!
第01話

 黄金の空の下、オレは借りた馬で競技場よりもずっと広い草原を駆けていた。その広さは地平線が見えると言っても過言ではなくて、遠くの方にちょっと青みがかった山脈が見えるほどだ。周りにはモモの花が咲いていて、今が春の始まりであることを告げている。あと数か月すれば花は好ましい新緑の葉と成り、蠱惑の実を結ぶだろう。
 暫く駆けていると、万里の長城みたいな天辺にデコとボコが並んでいる土壁が目の前に見えてきた。城壁には石造りの土台をトンネル状にくり抜いて作られた門があり、ココから市街へと出入りすることができるらしい。城門の上には重そうな屋根と太い柱だけの"城楼"と呼ばれる、いわゆる物見やぐらみたいなモンが建っていて、その下で門番らしき若い兵士が行ったり来たりしている。ちなみに城門の上に建造された城楼は"門楼"と呼ぶらしい。マリリンなんとかみたいな米国紳士の好きそうな名前してんな。
 オレは強行軍染みた走りを止めさせ、馬から降りる。ついでに門楼に設置してある看板――扁額ヘンガクと呼ぶんだけどオレは看板って呼ぶことにする――を見ておく。ヨシ、オレの来た道は間違ってなかったみたいだ。門番もオレに気付いたようで、緩んだ顔から一変して相手を威圧するような怖い顔をした。
 しっかし門番一つとっても、あからさまにおかしいって判るモンなんだな。門番の平均年齢は20代。しかも一番年齢が高そうなヤツでも30行ってるようには見えないぐらいで、ホントに若い。コイツらはコレが普通なんだろうが、オレはコレが異常だってのは判る。40代以上がマジでいねーんだなっていう、悲しい現実。ココが異世界で、大災害があったっつー確固たる証拠。経験していないのに、胸が痛くなる。しかし悲しんでいる場合じゃない。オレは頭を振り、門番の目を見た。眼の色は黄色か、また珍しい色だ。しかし頭や目の色がカラフルなのもココでは普通らしい。肌の色はオレと同じだと思うのに、なんともよくわからん世界だ。

「――止まれ。貴殿、何者だ。」
「オレはショカツコウ師匠センセーの弟子、ヨウゼンだ。この城の主に用がある、お目通り願えないだろうか。」
「ショカツコウの弟子だと? 証拠は。」
「コレ。別に困るモンじゃないし、読んでいーよ。」

 オレはスクールバッグから竹で出来た巻物を見せる。巻物は粘土の塊で束ねられており、塊の中心には生産者表示のごとく師匠センセーの印鑑が捺されている。中身は全文漢字で書かれているから細かいコトは省略するけれど、オレの特徴的な外見や身分とか今後についてが書き記されている。
 一番年上の門番は竹の巻物に目を通しながらオレを観察した後、若い門番に巻物を渡して走らせてった。多分だけど証明は済んだのだろう。黒髪黒目とかどう考えても埋もれてしまいそうな筈なのに、この世界ではとにかく珍しいモノとして奇異の目で見られる。まあそのおかげでこんなヘンテコな世界でも誤解されることなくオレがオレであるという証明はできるけど、人混みに紛れることができなさそうでちょっとヤだなあとか思ってしまった。

「主君が貴殿の謁見を許可された。付いてこい。」
「わかった、ありがとう。」

 暫くして一番若い門番が戻ってきて、一番年上の門番がオレに付いてくるよう促す。オレはあちこち転がり回ってはしゃぎたくなる気持ちを抑えて、前を向いて歩きだした。
 2年だ。2年、頑張った。でもコレは始まりの為の前準備であって、オレはこれからもっともっと頑張らなくちゃいけない。助けようのないオレの命を掬いあげてくれた、名前と瞳しか知らないアノコのために。

 ……いや正直言うと彼女の評判はちょっと聞いた。



 ハッキリ言って2年前のオレは助けようのないクズだった。

「あっちーなあ……。」

 虫の声、流れる汗、湿った空気、主張の激しい太陽、社会への不信、将来への不安。
 夏はまだ今年にしがみついているようで、衣替えの時期を過ぎてもオレは半袖のシャツに腕を通していた。手元にはいつも通り、ロクなもんが入ってないスクールバッグ。今からでも帰れますみたいなスタイルで廊下に置かれた椅子に座ってはいるが、帰ることは許されていない。憂鬱すぎる二者面談が手をこまねいて待っているからだ。何考えてるかよくわからん担任と将来について話し合うなんて、想像するだけで嫌になる。というかなんで高二でンなこと考えなくちゃいけないんだ、来年からでいいじゃないか。だって中学の時はそうだったし。
 いつものクセで、椅子を傾ける。そうすると聞こえないフリをしていた運動部員の統率の取れた掛け声や、室内競技の部員が鳴らす甲高い足音が遠くの方から聞こえてきてしまう。かと思えば吹奏楽部の低音が響いてきたり、軽音部のドラムの音がやたらと耳についたりする。部活動を謳歌している音が聞こえてくるたびに、疎外感で潰されそうになる。まるで、一人だけ学校を休んでしまった日のようだ。そういう日に限っていつもと違う事が起きて、みんなの話題はそれ一色になるんだ。

「……いいよなあ、みんな。」

 みんな将来があって、今が楽しそうで。だってオレにはなんにもなくなったから。
 自分がどうしようもないのは自分自身のせいだってのはよく解っているのに、八つ当たりがしたくて仕方がない。でもその対象が見当たらないので、みじめな感情だけが空中に浮いている。感情が地に足を付けて、芝生を自由に駆け回ってくれたらな。オレもちょっとくらいは溜飲が下がるだろうに。
 日中は騒然としているくせに、こういう時に限って静まり返った廊下には、火照った身体を冷やす設備が存在していない。そのせいで緩やかに体力を奪われていく感覚がして不快に思うが、あまりの暑さに怒る気にもなれない。オレより前の奴は随分と時間をかけて話し込んでいるようだ。外で待っているオレの気持ちもちょっとは考えてほしい。なんて、怖くて言えないけれど。
 あーあ、オレってほんとどうしようもないクズだ。特に理由もなく希死念慮が浮かんでしまうくらいには、ダメなヤツだ。そんなに死にたいなら何処か遠くへ連れて行ってあげようか。そうかい、勝手にしろよ。

「……えっ?」

 いやちょっと待てよ、なんだよ、今のダレだよ。だっておかしいだろ、今、明確にオレの声じゃない声が頭の中から聞こえたんだぞ? 人の声と人の声を混ぜ、そこから更にノイズをぶっかけたぐらいにおかしすぎる声がよ!
 怖い、怖い、怖い! オレは思わず椅子を蹴飛ばしてしまうくらい勢いよく立ち上がった。だけど、椅子が倒れる音はしなかった。代わりに聞こえたのは、葉が触れ合う風の音。まばたき一回しただけなのに、オレは闇に包まれていた。

「ココ……ドコだ……?」

 オレが今立っているこの場所は本当に暗くて、辛うじて周りは竹に囲まれていること、今は夜で星と月の光だけが心の支えになっていることしか分からない。ちょっと目を瞑っただけなのに、夜になってるとかヤバい。っていうかそもそも自分のいる場所が変わってるのも相当ヤバい。オレがまばたきしたと思っていたのは妄想で、本当はガチで寝入ってしまったのかとも思ったけれど、コレ絶対違う。そもそもこんなヘンな所に連れてこられて気付かない筈が無い。
 混乱するオレを置いていくようにして、荒い息遣いが聞こえ始めた。もしかしたら助けてくれるかもと思ったが、明らかに人間が出せる音じゃないのだ。どう表現したら良いのか、そう、大きな生き物の、深く覆うような呼吸の仕方だ。

――ナニかが、居る。

 オレは思わず音のした方向から逃げるように後退りを始める。オイオイ冗談じゃねーぜ、クマとか北の方だろう!? ココってヨコハマだよな!?

「ウ、ウワアアアアアアア!」

 得体の知れない恐怖に身体が限界を迎えたのか、オレは背を向けて走り出した。この対応の仕方は間違っているとしても、冷静に対処なんてできるハズもなかった。そして、自分の身体のコトもすっかり忘れていた。オレはバカだったんだ。
 「い゛っ!?」忘れていた膝の痛み。急な方向転換で負荷がかかったのだろう、左膝から崩れて草原の上に頭から落ちてしまった。露出した肌から感じる触り心地は、どこか懐かしい。しかし懐古の情を浮かべている状況ではないので、高速で我に返らせる。ナニがナンだか分からないけれど、とにかく逃げなければ。右膝から立ち上がって短距離走開始、そう思った瞬間に背後にあった地面が抉れ、その衝撃のせいなのかオレは吹っ飛ばされてしまった。もちろん最初は何が起きたのか、さっぱり分からなかった。痛みよりも先に感じた浮遊感。その後すぐに地面に腹から着地して、無様にゴロゴロと転がる。平時であれば規則に触れるような乱暴な行いだ。ふざけるな、と声を荒げて相手に迫るだろう。しかしその威力はヒトじゃない。ナニで傷付けられたのかも判らないが、右腕に大きな切り傷が出来たのは判った。

「――ウッソだろ、」

 遠慮なく滴り落ちる自分の血を見て、背中に暑さからくるものとは別の水が流れたのを感じる。マジでジョーダンじゃねーぜ、立ち上がってなけりゃ絶対もっとヒドいコトになってただろ。オレはますます"後ろにいるのはヒトではない"という確信を持たされ、身体が震えあがる。
 とにかく逃げなければ。そう強く思ったのに身体を上手く動かすことができず、もがいている内に叩き飛ばされる。それはまるで川で泳ぐ鮭を熊が捕らえるかのようで、オレは人として扱ってもらえないのだという絶望が頭を支配した。増える痛みと呼吸のせいでロクに動けないオレは、一歩一歩確実に近寄ってくる人でなしの影を眺めていた。

「――オレ、死ぬ、の?」

 震える視界の中で、吐き出すように呟いた。
 何をバカみてーに怖がってるんだ。死にたがってたじゃないか。"しょーがない"だろ。
 何度も繰り返した言葉が頭に浮かんだ。できないんだから、しょうがない。しょうがないから、しょうがない。ここで死ぬのもまた、しょうがない。

 ……はたして本当にそうだろうか?

「いいえ、いいえ。私の目の前で死ぬことは絶対に赦しません。」

 不意に聞こえた、鈴を転がすような声。目の前の化け物が突然炎に包まれ、火傷の痛みでのたうち回って叫んでいるのが聞こえる。やがて力尽きたのか、化け物は黒い砂となって地面に吸い込まれた。一体ナニが起きた? オレは思わず目を細めて影があった方向をちゃんと見ようと努力してみる。
 黒い雨の向こう、誰かが棒のようなものをコッチに向かってかざしているのが見える。他の印象はサッパリだったが、その子の瞳だけは不思議なほどに強烈な印象をオレに残した。芝生のような瑞々しい翠の、無限に広がる大地をそのまま閉じ込めた瞳が煌々と輝いている。絶望とも呼ぶべき昏い空に、希望を見出したような気がした。
 さっき聞こえた声が、話しかけているような気がする。その声に答えようにもオレの意識は当たり前だが限界を迎えていたようで、容赦なく黒い世界に叩き落された。でもきっと、今さっきの光景よりは怖くない。必ず覚醒の時は来る。もしかしたら気のせいかもしれないが、でもそんな気がしたのだ。



 渓流のせせらぎが聞こえる。小鳥の鳴く声も。鳥の名前を小学生の頃だか動物番組だかで習ったような気がするが、どうにも思い出せない。スマホで調べようにもどういう単語で調べれば良いのか分からないし、そもそもこんなのが聞こえる場所にスマホ持ってきてたっけ、なんて、

「――ハァッ!?」

 オレは思わず目を見開き起き上がった。が、すぐに身体中の痛みを思い出して布団の上を転げ回る。どうやらオレが寝ていた場所はベッドだったみたいで、転げ回っている内にそこから落ちてしまった。余計に痛みが増えた。オレはアホか。
 なんとか元の位置に戻ろうとして、ふと周りの状況に気付いた。驚くべきことに、壁が土と木で出来ている。日本家屋の中と言っても差し支えないほどだけど、純和風とは言い難い。置いてある火鉢やら敷き布やらがなんつーかオリエンタルだ。つーかどーでもいいけど窓が窓の役割果たしてねえ。台風の時どーすんだよ。なんとなくテーブルの上に無造作に置かれた木の巻物を触ろうとしたその時、こんこんと軽い足音が聞こえてきたので慌ててベッドの上へと逃げる。オレを助けたアノコだろうか。だとしたらお礼を言うためにちょっとは印象良くしないと。

「やはり起きていましたか、おはようございます。」
「おはよう……ございます?」

 しかし観音開きの扉からやってきたのは、黒髪スーパーロングの小学生くらいの女の子だった。彼女の瞳はいつぞやの暗い夜みたいな黒。オレの記憶が正しければオレを助けたアノコは緑の瞳のハズなので、どうやら違う子みたいだ。目の前に現れた少女は夜空を模した裾の長い羽織らしきものを着ており、歩くたびに裾を引き摺っていくのが見える。何処からどう見ても幼気な少女であることには変わりが無いのだが、優美に動く細く小さな手足と、まろい顔を彩る表情はまるで高貴な成人女性のようであり、外見とのギャップが凄まじい。

「カゲン殿から事前にお聞きしていましたが、怪我の具合は運び込まれた頃と比べたら大分良くなりましたね。これなら暫く安静にしていれば治りますよ。」
「か・げんドノ……っていうのが、オレを助けた人なのか?」
「貴方に治療を施したのはその方ですが、貴方を"キカイ"から救出し、此処に運んだのは別の方ですよ。」
「マジかっ! なっ、なあっ! ソノコってイマ、ドコにいるんだ!?」
「『まじ』……? ふむ、その方は貴方を此処に運んだあと、その足で"シンヤ"にお戻りになりました。つまり、帰宅ですね。」
「ええ~~~~~~~かえっちゃったのかあ~~~~~~……」

 あまりの衝撃にズルズルとベッドの上に滑り落ちる。そんなのアリかよとガッカリしてしまうが、あの子は少しの滞在すら叶わないほど多忙なんだと自分を納得させる。しかしそれだけ忙しいならなんであんな所にいたんだろう、オレみたいにまばたきしたら唐突に移動させられたワケではなさそうだし。

「ごめん、もうちょっと色々訊きたいんだけど、ココってドコなんだ? それに"シンヤ"は地名かなんかだってわかるけど、"キカイ"って? オレ、助けてくれたアノコに会ってお礼を言いたいんだけど、何もかも全然わかんねーんだ。」
「ほう、分からない?」
「ああ! オレ、アノコに助けられる直前まで学校にいてさ、ぼーっとしてたワケ! だのにまばたきしたら突然真っ暗な森っぽい場所にいたし、なんかよくわかんねー、えーっと、キカイ、だっけか? に、わけわかんねー内にボコボコにされちゃってさ、マジで死ぬ! って時にあの……緑色の目をした、女の子、かな、に助けられたんだ。」
「ふむ。つまり貴方はこの国の――いえ、この世界の住民ではないのですね。更には未だ名も告げていない、と。」
「あっ、そうだ! 名前! オレの名前は――」
「お待ちなさい、"桃源郷の客人まれびと"よ。」

 「だっ!!」突然黒髪スーパーロングの女の子はカラスの羽根かなんかでできた団扇の先端をオレの口元に当ててきた。別にこれっぽっちも痛くはないけど思わず悲鳴が出る。

「突然なんだよっ?!」
「貴方が桃源郷の客人まれびとである以上、真の名を軽々しく口にすることはお勧めいたしません。」
「……そりゃまたどうして?」
「元々この国では、古来より真の名を敬って避けるという習俗がありました。真の名で呼ぶことを許されるのは家族や主君などのみ。それ以外の者が真の名で呼ぶことは無礼であるという考えが存在するのです。」
「なんでまたそんな風習ができたんだ?」
「真の名とは、その人物の魂と強く結びついたものであり、その名を口にすると相手の魂を支配することができる……そう考えられているからです。」
「ウッソだあ……!」

 そんなこと言われてもマユツバモノだ。オレが知ってる限り、結婚をすれば名字が変わるし、手間がかかるが手続きすりゃ改名だってできる。このご時世、いくらでも本名を変えられるのだ。名前出したらヤバイだなんてファンタジー小説で見たことあるけど、やっぱり非現実的に思える。しかしジョーダンで済まそうにも彼女の表情は真剣そのものだ。どうやら笑いごとではなさそうである。

「嘘、と笑い飛ばせるのであれば私もそうしたいところですが、そうもいかないのがこの世界なのです。」
「そんなにヤバイのか?」
「この世界の住民であれば"ただの風習"と片付けても良いのですが、桃源郷の客人まれびとに限ってのみ"魂が支配される"という事項が不都合になるのです。」
「魂が支配されるとどうなるんだ……?」

 気が付けばオレは痛む身体に鞭を打ちつつ、姿勢を正して彼女の言葉を聞き入っていた。先程まで小鳥の声が騒がしいくらいに鳴いていたのがウソのように静まり返る。ナニか、イヤな予感がした。

「桃源郷の客人が真の名を告げ、この世界に魂を支配されると――桃源郷に帰ることができなくなります。」
「へえ……。」

 オレは思わず気の抜けた声が出た。思った通りの反応が返ってこなかったからなのか、女の子はちょっと困った顔になる。いやちょっと思い出してほしい。"トウゲンキョー"ってナンだ? いや、地名っていうのはなんとなくわかるけど、一体全体ドコなんだソレは。

「『へえ』じゃありませんが。」
「いやよく考えたら"トウゲンキョー"ってドコだかわかんねーし。」
「なるほど、貴方の出身地は?」
「ヨコハマ。」
「ではそこはこの世界から見れば"桃源郷"です。」
「ハァ!? いや、ソコは他の県とか国とか、『そういう地名なんだ~』って話にならないのかよ!?」
「この世界の――というよりこの国に限った話ではありますが、そのような名前の地名はこの国には存在いたしません。それになにより貴方のその外見と恰好です。」
「えっオレ?」

 自分の腕や足を見てみるが、包帯だらけであるコト以外は特に何の変哲の無い、いつものオレである。日課を休んでいる内にちょっと脚の筋肉が落ちたかもしれない。アレッ、そういやオレ、今着物っぽいもの着てるんだな。どおりでなんか動きにくいと思った。
 オレが自分の身体を確認している内に、女の子は両手で抱えられるほどに大きな四脚の付いた木箱を持ってきて、オレの前で開けてみせた。中に入っていたのは、オレの制服らしきものとスクールバッグ。制服なんてあの時血まみれ泥まみれになったものだとばかり思っていたけれど、どうやら洗濯しておいてくれたらしい。バッグの方も開けて中を見てみたら、明らかにオレのものだと分かる内容で少し安心する。スマホもあったけど、電源を落としていなかったのが仇になって電池切れ。もちろんイマドキの学生の例にもれずオレもスマホ中毒だから充電器も当然のようにあるけれど……充電できたところでロクに使えなさそうな気がしてくる。とりあえず、充電はさせておこう。

「わざわざ取っておいてくれたんだな、ありがとう。って、コレがさっきの話とどう関係があるんだ?」
「服の形状や材質、それにその荷物……どれもこの世界には無いものです。」
「そうかあ? オレにとっちゃフツーだけど……。」
「貴方の持つ角端かくたんの鱗の如き髪に黒金こくきんの瞳もそうですが、貴方から発せられる奇妙な単語もそうです。粗野な言葉遣いはともかくとして、『まじ』だとか、『やばい』だとか、言葉の流れからなんとなく意味は理解できますが、それでもそういった単語を使う人はいません。」
「そういや、アンタも随分喋り方が丁寧っつーか……そういう堅苦しい言葉遣いをする子供ってあんまり見ないな。つか髪の色と目の色なら――」
師匠せんせーい!!!! このキョウハク、ただいま戻りましたよー!」

 「――アンタもオレと一緒だぜ」と続けようとしたその時、家の外から声が聞こえてきた。何事かと窓から顔を覗かせると、思わず二度見したくなるほどに強烈なインパクトを持った男の人が立っていた。恐らくオレより背が高く、脚が長いであろうその人は、根本は萌葱色だってのに毛先に行くにつれ黄色になっていくという『ソレ伸ばしたり切ったりしたらどうなるんだ』って感じの奇抜な色の髪をしていた。そんだけアレな髪色してたら似合うヤツ少ないだろうとも思うだろうが、非常に残念ながら顔がひたすらに良いのとスタイルが抜群なおかげで全く違和感が無い。しかもよく見たら瞳の色が菫色だ。えっ、ナニこのヒト……。
 じっと観察していたら目が合ってしまった。うわ生きてるぞコイツ! いやさっき喋ってたから当然か!?

「おや、アナタは! 目を覚ましたのですね、おはようございます! 調子は如何ですか? ココに担ぎ込まれた時は酷い怪我を負っていたものだから、心配していたのです!」
「オ、オハヨー……オレゲンキー……。」
「へえ、アナタも師匠せんせいと同じで瞳が黒いのですね! 生まれ持ったものがお揃いなのは羨ましいなあ。アナタもやはり、桃源郷の客人まれびとなのですか?」
「彼にいくつか確認をしましたが、そのようです。」
「へええ、そうなのですか! では改めまして初めまして、そしてようこそ蒼天そうてんが死したる五色ごしきおか、"フクギの国"へ! ワタシの名はキョウハク! ショカツコウ師匠せんせいの一番弟子にして養父です!」
「待ってくれ情報の量がとんでもなく多い! 次から次へと浴びせかけてくるんじゃねえ!! もうちょっと小出しにしてくれ!!!」
「あとこの庵の近辺にある村の長でもあります。よろしくおねがいいたしますね。」
「うわ急に落ち着いた! いやもういーよ! お腹いっぱい!」
「おや、そうなのですか? 今日は肉饅頭を作ろうと思っていたのですが……。」
師匠せんせいの作る肉饅頭、美味しいですよね。こんなに美味しい肉饅頭が食べられないだなんて残念です。気が向いたら召し上がってくださいね。」

 ああ、めまいがする。
 それカツラとかカラーコンタクトレンズとかじゃなくて生まれつきのモノなのかよだとか、そういえば空が青色じゃなくて黄色ですねとか、フクギの国ってナンだよだとか、一番弟子にして養父で村長ってなんだよ属性盛り過ぎじゃねーかだとか、アンタが肉まん作るのかよだとか、ところでアンタひょっとしてオレと同じでトウゲンキョーのマレビトなのかよだとか――言いたいことは色々あるんだけど!

「いや肉まんは食うよ!?!?」

 ――前略。父さん、母さん、オレひょっとしたらとんでもないトコロに来てしまったかもしれません。



 一方その頃、愉快な三人組が肉饅頭をつつき合っている位置からやや北へと進んだ地にある邸内にて。太陽から逃れるように配慮された昏い部屋で、膝に乗せた一絃琴いちげんきんを奏でながら詠う人物がいた。少し癖のある短い髪は背筋が凍るほどに美しい白に染まっており、焦点の合わない瞳は奇怪な緋色に染まっている。すらりとした長さを持った身体は髪と同じ白の衣装で覆われており、何者も寄せ付けない神秘的な雰囲気を纏っていた。

「――桃の夭々ようようたる、灼々しゃくしゃくたり其の華、」

 黒い布に覆われた右手の人差し指に嵌められた竜爪が弦を弾くたびに、小さく跳ねては戻る流麗な音が鳴り響き、小さな歌声と共に室内を満たす。その音と声に釣られ一羽、また一羽と窓枠に鳥がやってきては、鳴きもせず静かに音を聴き始める。
 窓の外では丁度桃の花が満開の時期を迎えており、風に揺れて愛らしい花を舞わせていた。それは一絃琴いちげんきんの調べに合わせるかのようであり、忌々しき黄金の空を霞ませてくれる。

「――之の子、こことつぐ、其の室家しっかに宜しからん。」

 少女とも少年ともとれるような、性別を感じさせない声が円滑な結婚と一族の繁栄を寿ことほぐ詩を紡ぐ。次の文を詠おうとしたところで、様々な色をした鳥たちが一斉に羽ばたき去っていった。白髪の人物は鳥たちがいた方向へゆっくりと頭を上げると、窓の外に何者かが立っているのを把握する。それと同時に、土と果実の香りがするのを感じ取った。窓の外の人物は青みがかった黒髪を風に靡かせ、黄金色の前髪をイワトビペンギンの飾り羽の如く逆立たせていた。既定のサイズよりも幾分か長い冠を頭に乗せているそのシルエットに、白髪の人物は見覚えがあった。

「ほう、"桃夭トウヨウ"か。わが太真王夫人たいしんおうふじん殿は今日は随分とご機嫌が宜しいようだな?」
「やっぱりソウモウか。何しに来たの。」
「そう邪険にするでない。今日は大薬王樹たいやくおうじゅの果実が手に入った故な、このおれ自らが持ってきてやったというわけだ。」
「ふうん、枇杷ヒワか。いいんじゃない。上がっておいでよ。」
「――ああ!」

 尊大な態度から一変、許可を得ることができた子犬のように気分が急上昇した青年は「邪魔をするぞ!!!」と激しい効果音を鳴らしながら観音開きの扉を両方ともを開けて声をかける。その騒々しい登場の仕方に一瞬だけ白髪の人物は眉を顰めたが、すぐに無の表情へと戻り「『邪魔』をするなら帰って」と返答した。常人であればこの時点でショックを受けて帰る所なのだがそこはソウモウと呼ばれた青年、広い心で日常茶飯事と受け止め遠慮せず中へと入る。白髪の人物が一絃琴いちげんきんを壁に立てかけている間に、ソウモウは部屋の隅に置かれた小さなローテーブルを持ってきて白髪の人物の前に置き、その上に手に持っていた枇杷ビワの乗った皿を乗せた。枇杷ビワは女官達の手によって既に種も皮も取り除かれており、橙色の瑞々しい中身がごろごろと転がっている。

「――それで?」

 ソウモウはおもむろに串を手に取ると、枇杷ビワの実に向けてぷつりと小さく音を立てて刺す。白髪の人物は既に枇杷ビワの実を口に含んでおり、くにゅくにゅとした感触と溢れる甘みを味わいながら次の言葉を待つ。

「ご機嫌麗しいわが太真王夫人たいしんおうふじん殿は、今回は何を見つけたのかな。」
「そうだね……昨日は星が落ちるのを見たよ。」
「ほう、星が? ……凶星きょうせいではないのか?」
「いや? どちらかというと吉星きちせいだね。その星は太陽のように輝き、そしてケイ州の方へゆっくりと落ちていったんだ。」
「ふむ、ケイ州か。リュウケイがぼくを務めている地だな。」
「数年前にも同じ場所に北斗星が落ちていったから……あそこは良い召喚スポットなんだろうね。」
「召喚? ではその吉星は桃源郷の客人まれびとであると言うのか?」
「さあ、そこまではわからないかな。でも――」

 首元をさすりながら、不意に窓の外を眺める。するとちょうど強い風が吹いて、窓の外から桃の花が入り込んできた。窓のすぐ近くに座っていた白髪の人物は花吹雪を一身に浴びて、その白い髪を桃色に彩らせる。気が付けば緋色の瞳は煌々と輝いていて、それはそれは楽しそうに三日月の形に変える。視線の先には黄金に輝く空。その砂の海の如き天空を、赤い瞳の燕が自由に羽ばたいている。
 ソウモウと呼ばれた青年は花吹雪に連れ去られてしまいそうなその光景を、ただただ見つめていた。

「――黄天こうてんの死ぬ日が近いということだけは、確かだろうね。」

小ネタ解説
2020/05/14 


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