隣のモブを見ていた話

「いやー、まさか神官サマが助けてくれるなんてな、本当に助かったよ。やっぱり"タルタロスのこどもたち"って怖いんだなあ。」

 そう言って目の前の少年は包帯が巻かれた首を擦りながら困ったように笑った。平時の己であれば『この程度も知らんのか』と一言二言追加して揶揄していただろうが、今回は事情が違った。
 魔王・グーラの襲来――突如として大海原から現れたその破壊兵器は、オリュンポス帝国の大部分を喰い散らかし首都に居座った。そしてあろうことか、醜悪だが温厚な"タルタロスのこどもたち"まで暴走させてしまう始末。このままでは国としてどころか世界としての体裁を保つことが難しいと判断した帝は困った時の神頼みとして、ガイア教に助けを求めたのだ。ガイア教はそれに応え、神官団長殿は帝にある提案をした。

――異界から"救世の神子"を喚びましょう、と。

 「自然の摂理に反する」「そもそも神子が喚べるかどうかすら怪しい」と考えた帝は最初は渋ったが、国内から神子が現れる事はなく、また国外から神子がやってくる事もなかったので了承するしか選択肢はなかった。

 かくして、召喚の儀式は始まった。帝国各地から集められた実力のある神官達が、地母神ガイアの血で描かれた陣の前に立ち力を注ぐ。この時同じく陣の前に立った私は、そう対して熱心に力を注ごうとは思わなかった。『儀式が失敗すれば、召喚した者が怪物であったり人の形をした凡愚であれば、私が"救世の神子"となって魔王を殺せるだろう』と、野心的な考えがあったからだ。そんな雑念を混ぜていたからなのか、それとも帝と同じように半信半疑の神官がいたからだろうか、儀式は成功したがある意味失敗してしまったのだ。
 目の前に現れたのは、驚いたような顔をして座り込んでいる"2人の少年"。伝承によれば、救世の神子は"1人"の筈なのである。で、あれば、片方は一般人。ただでさえ自己都合で喚び出しているのに、無関係な一般人を巻き込んでしまったというのは、プライドの高い神官団長殿にとって手痛い失敗である。
 だからこそ、神官団長殿は慎重に選ばなければならない。2人のうち、どちらが"救世の神子"なのかと。
 だがまあ、それはあっさりと決められてしまった。

「おお……よくぞ参られた"救世の神子"殿! どうか私どもの為に、この国を……世界を救って頂きたいのです!」
「えっ、ええ……っ!?」

 神官団長殿が膝をついて見つめた視線の先。そこには、顔立ちの整った少年の顔があった。この国では珍しい、柔らかい色の金髪は薄暗い神殿の中でも輝いているのが見える。翡翠をそのまま嵌めたかのような瞳は、驚きに小さく丸まっていてもなお美しい。つまるところ、神官団長殿は見目で判断したのである。
 周りの神官たちも『やはりか』と納得した顔で、その少年を見つめていた。隣に居る筈の少年を視界に入れようともせず。私は救世の神子の座に立とうとしていた人間なので、どうにもその少年の顔を見る気にもなれず、かといって余所を向いているわけにもいかず、なんとなく横目で隣にいる少年を眺めていた。
 隣の少年は……正直に言って可もなく不可もなく。平たい顔で何処にでもいそうな、それこそこの国の民として平凡に暮らしていそうな、人畜無害な容姿をしていた。彼は金髪の少年と同じように驚いた顔をしていたのだが、すぐに我に返ったのか自然な動作で少年と神官団長殿の間に立った。

「ちょっと待ってください。きゅうせいのみこ? だとか世界を救ってくださいだとか、好き勝手言ってますけど、その前にココは何処で、何が起こっているのか説明してからでないと、了承できません。」
「何故貴方の許可を得る必要があるのです?」
「俺は彼の親友で、その親友が俺に助けを求めたからです。ワケの分からない見えない力に引っ張られて無理矢理連れ去られる恐怖が、あなたに分からないわけがないでしょう。それに俺たちが――いや、ハジメが世界を救う力を持っているかどうかすらお互いに分からないんじゃないですか。」
「で、ですが、此方としても危急存亡の秋なのです。」
「それは彼にとって利益のある事柄なんでしょうか、あなた方だけが得をするんじゃないですか。」

 疑問形では無く、断定するような言葉。初対面でいきなり喧嘩腰なのもどうかと思うが、彼の言い分は最もだ。己とて敵に対抗する力は十分以上にあれど、見ず知らずの異界に呼び出され『さあ救世せよ』等と言われた暁には、呼び出した者全員殺していただろう。

「利益は御座いますよ。此処で最上級の暮らしが出来るように帝に進言してありますし、戦いにおいて様々なサポートも約束致します。とはいえ、現在のこの国の情勢では全盛期のようには出来ぬかもしれませぬが……。」
「それはこちらが判断することです。見たところ俺たちの知ってる文化とは違うみたいですし、それに大体元の場所に帰る方法は――」
「それくらいにしておけよケイスケ、もう大体文句言い終わっただろ。」

 突然、金髪の少年が口を開いた。その声色は甘やかで、声変わりしているであろう筈なのに高く、爽やかだった。周りの神官達がほう、と聞き惚れているのが分かる。見た目だけでなく、声ですら人を魅了していくのか。彼の持つ可能性の末恐ろしさに、苛立ちが募る。

「ケイスケの言いたい事はもっともだよ。それは俺も同意するし、俺のことを考えて言ってくれて感謝してる。でも、相手は自分たちの住むところが危ないーって困ってるんだろ? 俺に救う力があるのかは分からないけど……でも、俺ができることならやりたいと思う。」
「あのなあハジメ、正直オススメはしないぞ。結果的に損するのはお前だ。OKを出す前にもうちょっとよく考えろ?」
「考えたさ。考えたから、応えたいと思う。」
「……お人好し過ぎるよ、お前は。」
「はいはいブーメランブーメラン。」

 どうやら、お互いにお互いの事をよく知っているようだ。呆れる言葉とは裏腹に、その表情はどちらとも穏やかで他者が割り込む隙なんて何処にもないように見えた。しかし金髪の少年の方にしか目が行かない者達にとっては、『顔が良いな』ぐらいの印象しかないのだろうが。
 くすくすと笑い合う少年たちの空気を壊すように、神官団長殿が「では、引き受けてくださるのですね!?」と割り込んでくる。金髪の少年は一瞬それに気圧されるように見えたが、やがて力強く頷いた。一方黒髪の少年は……仕方がないなと言わんがばかりに困った笑みを浮かべていた。まるで最初から答えが分かっていたかのような、いや分かっていたからこそ少しでも友に利があるように動いたか。頭がおかしいまでに友人想いな人間だ。
 その後、神官団長殿が二人の少年を連れて、神器ケラウノスの使用資格があるかどうかを判別する別の儀式が始まった。この儀式で本当に金髪の少年が救世の神子かどうかが決まるが、ここまで来て逆に黒髪の少年に神器の使用権が与えられたら大声で笑ってしまうなと考えていた。が、それも杞憂に終わり、金髪の少年が神器ケラウノスを輝かせながら神官団長殿と共に戻ってきた。間違いなく彼こそが"救世の神子"なのだろう、神官達が感嘆の声をあげて金髪の少年と神官団長殿の周りに集まる。後ろからゆっくりと現れた黒髪の少年に、誰も目を向けないままに。
 困ったように微笑んでいた彼は、一体あの時何を考えていたのだろうか。

「え? あの時? あれは『帰る方法が分からないし、ハジメがやることやり終わるまでココでどう暮らせば良いのかなー』って考えてたよ。」
「は?」

 あっけらかんとした様子で黒髪の少年はさも当然のように今日水揚げされたばかりの魚を捌いていた。捌き方を知っていたのかと問えば、「テスト勉強する為に教科書一式を持って帰ろうとしてたから」とよく分からない答が返ってくる。なんでも、家庭科の教科書に載っていたのだとかなんとか。思いのほか生活能力がある。

 話は冒頭に戻る。
 儀式の後、(神官団長殿に喧嘩を売ったので居心地は悪そうだが)神殿で救世の神子の帰りを待つのか、それとも神子と共に旅に出るのではと思っていたのだが、街で平民と同じように暮らし始めたのだ。悲しいかな、彼が友人を想ってした行動は彼自身に不利益を被ってしまったようで、あまり真っ当な暮らしはできていないようだった。屋根のない、石壁も壁としてあまり機能していない家を見る。こんな所に住むことになってしまった理由は恐らく、神官団長殿を崇拝する輩が行った嫌がらせのせいであろう。相も変わらず度し難い者共だ。

「とりあえず街の様子見てから考えようと思って、まず神殿から出て焦ったよ。『やべえ、ここ古代ギリシャじゃん!』ってさ。神殿も俺が想像する真っ白な建物じゃなくてカラフルな見た目しててそっちにも驚いたし。あ、でも、ギリシャとは違うんだっけか? オリュンポス帝国だもんな。俺の故郷の方、つっても外国だけどさ、似た古代文明があるんだ。ハジメは世界史はともかく、神話はあんまり興味が無いみたいだから異世界だーって驚いてるけど。」
「そうか。それで?」
「うん?」

「貴様は何故"タルタロスのこどもたち"が活発に動き出すこの時間に出歩いた?」

 前提知識として、"タルタロス"とは奈落のことである。元々、"タルタロスのこどもたち"はその醜悪な外見故に、奈落で生活することを強要された元人間である。彼らは女神ニュクスが世界を巡る時間――夜に活発的に活動する、ただそれだけの生き物だったのだ。言動なんかも人間と変わらないので、つい最近までは地上の人間たちと友好的な関係を築けていた。
 だが今はどうだ。魔王グーラとやらがタルタロスのこどもたちに何某かを吹き込んだ結果、地上の人間たちを襲い、殺してはその死体で遊ぶようになった。おかげで夜はすっかりと危険な時間になってしまった。
 故に魔王が滅びるまで、タルタロスのこどもたちが大人しくなるまで、許可された者以外は夜に出歩くことを禁じられている。

「え、それさっきまで同じように出歩いてた神官サマが言っちゃうのか?」
「……私は神官だ。人々が寝静まるこの時間は神託に従い、"タルタロスのこどもたち"の殲滅に周っている。」

 救世の神子と仲間たちがそれらを退治する為に帝国領内を走り回っているが、それでも少人数で全てを退治するのは難しい。だからこそガイア教の神官はその穴を埋めるべく、地母神ガイアに与えられた祝福の力を以って鎮圧に周っているのだ。

「あ、そうだったのか。それは凄いな! 夜分遅くまで人々の心の平穏をお守り下さり真に感謝致します。」
「唐突に遜るな、気色悪い。それより質問に答えろ。」
「何でほっつき歩いてたんだって? ほら日雇い陪審員の仕事ってあるじゃないか。それの給料が良いからさ、あっちこっちの裁判に顔出してたってワケだ。気がついたら遠出みたいになっちゃって、宿とか今の俺には良し悪しが分からなくて利用しにくいしさ。」
「……時間配分も考えずにか、最悪だな。先程のキュクロプスに殺されていても同情はできまい。」
「はははは、ごめん。あ、魚焼けたぞ。」
「私は食べるとは言っていないのだが。」

 さも当然のように魚を焼いて、さも当然のように2人分用意する少年の強かさに呆れる。こんなボロ小屋だ、臥台なんてそんな高価なものはないと言わんばかりに床に食器が並べられていく。ドライフルーツ交じりのパン、今日水揚げされたサケの塩焼き、プティサネー。住居はともかく、生活スタイルは一般層寄りのようで少し安心する。いや、食事だけ優先していないかこれは。
 というか何故私がこの子供を心配しなくてはならないのだ。

「ご飯が美味しいと、生きる活力も段違いで変わるぞ。さ、食べよう。」
「だから私は――」
「残すともったいないおばけがでるぞう。」
「なんだそれは。」
「はい、いただきまーす。お、やっぱりこのパン美味いな、鮭も良い感じで焼けてるし。神官サマも早く食べなって。」
「話を聞かんか。……ああもう、蜂蜜を寄越せ。」
「おー、いっぱいあるぞー。それ、こっちの食文化に欠かせないみたいだから買ったけど、俺には合わなくってさ。だから好きなだけ使うと良いぞ。」

 「黙って食え。」とだけ答え、パンとサケに蜂蜜を何匙かかける。勿論プティサネーにも一匙混ぜ、それからいつもの通りに食事を始めた。サケの油と塩で汚れた指はパンで拭い、乾いた口はプティサネーで癒す。良い店に巡り会えたのだろう、味は悪くない。


「さっきの話だけどさ。」

 声に釣られ前を向くと、黒髪の少年は片手にパンを、もう片方の手に2本の棒を持って食事をしている事に気付いた。だが私はその棒について質問しなかった。また訳の分からない返答が来るか、もしくは神子のように旨く説明ができないかのどちらかになるのだから、質問するだけ無駄ということだ。
 彼の手元にはパンの最後の一口のみが残されていた。食べるのが早い。

「『もしかしたら自分が"救世の神子"になれたかもしれないのに』っていう、そういう話か?」
「何故そう思う?」
「ハジメの愚痴聞いてると、たまにあんたと対決する羽目になっただの、勝ったの負けたのの話が出るからさ。救世の神子を召喚する時に立ち会った神官サマが、どうしてそんなことするのかなあって考えた結果だ。まあ、勘と言ってしまえばそれだけの話になっちゃうんだが。」
「貴様に何が分かる。」
「はははは、なーんも分からん。相手の考えてることがわかったら苦労しない。」


 相手の考えている事が解らないのであれば、その考えの発端は、


「では、貴様は思ったことがあるのか? 『救世の神子になれたかもしれない』と。」
「……。」

 かちゃりと、空になった皿の上に棒を置く音がした。それから暫しの間の沈黙。
 これは図星か、否か。

「『無いわけではない』、だな。」
「ほう?」
「一瞬だけ、それも本当に一瞬だけだ。すぐに『あ、違う』って思ったんだよ。」
「その理由を訊いても。」
「召喚される直前の状況を思い出したからだよ。あの時、唐突に魔方陣がハジメの前に現れたんだけど、それは明らかにハジメだけを狙ってた。でもそれに抗って手を伸ばしたのはハジメだし、その手を掴んだのは俺だった。」
「仮に……その状況を思い出せなかった場合は、どのようになっていた。」
「どのようにもなにも……その時も同じように隣にハジメがいたら、『違う、自分じゃない』って思うだろうな。」
「……何故だ。」

「簡単な話だ。身の程を知っているんだよ、俺は。」

 途端、黒髪の少年の困ったように微笑む。その顔は、"救世の神子"が金髪の少年であると確定した時のものと同じだった。困っているような、悲しんでいるような、寂しそうな、諦めているような、どうとでも言えるような、笑み。

 どうやら私はこの顔が嫌いだったようだ。
 この、何か言いたそうにして、それすらも諦めているこの顔が――!

「何故だ、悔しいとは思わないのか。殺したいほど憎いとは、思わないのか。己よりも遥かに優秀な隣人を、貴様が持たざる物全てを持っている隣人を、妬み、嫉み、自分が成り変わりたいと思わないのか!?」
「ハジメ個人をそこまで評価してくれるだなんて嬉しいなあ。ほら他の人ってどうも……言っちゃあ悪いけど、"救世の神子"だから当然だと思ってる人多いみたいだからさ。」
「私は貴様の話をしているのだ! 貴様は奴の親でも妻でもなんでもないのだぞ!!」
「そうさ。なんてこともない、ただの友だちだ。まあ、アイツに比べたら俺はホントなんもできないけどな。で、何もできないなりに俺にできないことはないかと考えたんだ。その答が、『あいつにとっての"日常"になる』ってことだった。」
「日常……?」

 予想外の答に、思わず反芻してしまう。そんな私の様子を見て、黒髪の少年は年相応の笑みを浮かべた。神殿内で、神子と笑い合っていた時の顔だ。思えば彼は、先程からあの困り笑顔しか浮かべていなかったような気がした。

「アイツ、アレだろ? そこに立ってるだけで厄介事がやってくるタイプ。そんでもってドのつくお人好しだから、非日常当たり前。ちっちゃい頃から見てたからさ、そりゃーもうひどいひどい。いつか全く違う世界の人から助けてほしいとか言われるんじゃないかなーと思ってたらホントにそうなったし。……まあ俺が予想してた違う世界の人ってのは、生活基盤が根本から違う人って意味だったからな。異世界から召喚されたのは――あー、そうだな、ぶっちゃけ予想外だった。うん。」
「……。」
「非日常が連続で起きてたら、それが日常になってしまうだろ? 神官サマたちが夜ごとタルタルの子供たちと戦うのが日常になってしまったのと同じでさ。人生が平坦であればあるほど退屈してしまうもんだ、それが周りの人とは全く違う日々……非日常であっても。」
「……一応言っておくが、"タルタロスのこどもたち"だ。」
「悪い。覚えにくいんだソレ。……でさ、人生って、波があった方が良いと思わないか?」
「知らん……。」
「うん、俺は思う。そして俺にとって、ハジメの存在そのものが"非日常"だ。でもハジメはどうだ? 非日常ばかりで、それが日常になってしまってる。たまにはアイツにも平和をあげたいとは思わないか?」
「そもそも奴に何がしかをあげたいとすら思ったことが無い。」
「まあライバルみたいなもんだもんな、神官サマは。そういう発想すらないよな。で、ハジメから非日常の一端をもらうお礼に、俺からハジメに日常を提供するんだ。俺にできることと言ったら本当にそれぐらいだからな。そう考えると、どうだ。俺とハジメは親友でありながら、win-winの関係になる! どーだ、この完璧な理論!」

 どこがだ。

「では……貴様は、今、幸せなのか? 神官団長やその取り巻きに邪険に扱われて、常に死の恐怖に怯えて、優秀過ぎる隣人の輝かしい評判を聞いて、その隣人から愚痴を聞いて、隣人に日常を提供して? 貴様は、本当に?」
「幸せかどうかはまだ判断しにくいが、楽しいぞ。今の状況は社会見学とか林間学校みたいな感じだしな。怒ったり、嫉妬したり、悲しんだりするよりはずっと楽だ。」
「お人好しが過ぎる……!」
「はははは、それよくハジメに言われる。さ、ちゃちゃっと片付けたいから、さっさと食べ切っちゃってくれ。頼むから、残さないでくれよ?」

 そう言って身体を少し後ろに反らした黒髪の少年は、自分勝手な理論を喋った時からずっと上機嫌になっていた。どうやら先程の本音は、誰にも――あの神子にすら言ったことがないらしく、喉の閊えが取れたようで晴々とした表情を浮かべていた。

 だが、一つだけ気になった事がある。
 黒髪の少年の理論は、いつか元の世界に帰還できることを前提としたもののような気がしたのだ。もし、元の世界に戻ることができなかったら、彼はどう思うのだろうか。黒髪の少年にとって、オリュンポス帝国での暮らしは非日常だろう。
 ではそれが、帰還不可という結果の前に日常になってしまったら?

 ――その懸念は、少年の死を以って現実のものとなる。









「有難う御座います、デメテル様。貴方様のお蔭で、彼らの運搬は恙無く完了致しました。」
「ああ。」

 黒髪の少年との食事から半年後。私は、先の魔王襲撃事件の被害者が横たわる遺体安置所を訪れていた。
 "魔王襲撃事件"とは、普段"タルタロスのこどもたち"を暴れさすだけ暴れさせて、本人は帝都で惰眠を貪っている魔王が何の気まぐれか帝の避難している御所に襲撃しにきたというおぞましい事件である。魔王が起床した影響か、帝都から御所までの間にある居住区は"タルタロスのこどもたち"が大量に現れて市民を襲ったそうだ。

 私のような神官は勿論、救世の神子がいる一行も鎮圧に奔走していた。
 それは良い。問題はその後。

 前提として、オリュンポス帝国が誇る皇帝アレスは神の、それも直系の子孫である。異世界ではどうか知らないが、神の子孫は他者よりも遥かに逸脱した祝福を頂いているのが当然である。救世の神子の仲間として同行している皇女ハルモニアもそうだ。残念ながら皇帝も皇女も神器ケラウノスに認められず、救世の神子にはなれなかったのだが。
 そんな皇帝アレスが、何もできないわけではない。『国の長だから』と安全な場所に居ることを強要されているが、今も昔も"鬼神"と呼ばれている男。魔王グーラを倒すことは出来ないが、追い払うくらいなら他者の手を借りずとも皇帝一人でやってのけるのだ。だから皇帝の救助に人員はさほど必要がない。むしろ要らないとまで言える。

 しかし、救世の神子は皇帝の救助に来てしまった。他にも助ける人々がいたにも関わらず。

「その結果がこれか。」

 数日ぶりに再会した黒髪の少年は、見るも無残な姿で私の前に横たわっていた。顔など見るに堪えない、そもそも頭が無い。一緒に逃げていた見ず知らずの子供を庇って、潰されてしまったそうな。相も変わらず、お人好しが過ぎていた。だからこそこうなってしまったのだろうが。
 我々神官達は神官団長殿に指示された場所で、タルタロスのこどもたちを迎え撃っていた。残念ながら私の管轄は、そもそも彼の行動範囲から遠く離れていた場所だったので助けに行くことができなかった。だが、救世の神子とその一行は、その祝福の力を以って何処にでも行けたはずだ。

 ――数々の祝福を手にした今の彼らなら、居住区で暴れる"タルタロスのこどもたち"を殲滅することなど容易かった筈なのだ! だが彼らはそうしなかった! 何故だ!? 無辜の民よりも、帝を優先したからだ!

 ふつふつと救世の神子に対して怒りが湧き出す。これは、私が救世の神子になれなかったからという嫉妬の怒りではない。奴の不甲斐無さに、自分勝手さに、そして自分の無力さに怒りを覚えたのだ。
 このままここにいては、怒りで遺体を潰してしまうだろう。これ以上の辱めを死者に与えてはならない、早めに立ち去ろうと考える端に、忌々しい金色が見えた。

「えっ、デメテル……? 何でココに……。」
「ハ、救世の神子か。今更この少年に何の用だ?」
「少……年……? ま、まさか、お前……!!」
「誤解される前に言っておくが、少年を殺したのは私ではない。"お前"が、殺したのだ。」
「俺が……殺した……?」

 呆けた阿呆面を横目に「よく考えるのだな。貴様の選択と、その結果を。」と呟き、通り過ぎる。普段なら嫌味の一つ二つ返すだろう神子の周囲は、何も言ってこなかった。

 居住区から離れ、人気の無い夜の帝都を歩く。思えば私は、定期的に黒髪の少年と食事をしていた。お互いまともに名前を呼ぶことはなかったが、特に気にしてはいなかった。ひと月経った頃、神子の足が遠のいていることに気付いた。未遂ではあるが、神子と鉢合わせする回数が格段に減ったからだ。それを少年に告げると、

『まあハジメも忙しいからなあ。元の世界のように毎日会うとか、そういうわけにはいかないだろ。この国もデカいみたいだし。さ、そんなことよりもメシにしようぜ、メシ。今日は有難いことに大工のおじさんから鶏肉を分けてもらったんだ。肉料理とか、すごい久しぶりだから楽しみにしてたんだぞー。』

 と、いつものように困った笑みを浮かべていたのが印象に残っている。本当は会って話がしたいのではないか、と返そうと思ったが止めてしまった。話が変わってしまったから、そう言い訳を自分自身にして。
 それから更にひと月、ふた月と時を重ねていくにつれ、神子が会いに来ない代わりに、私が何度も少年の下へ訪れて話を聞いてもらっていた。やれ神子と対決しただの、やれ周りの神官が煩いだの、神官団長殿の人使いが荒いだの、少々厄介な敵がいただのと、様々な話をした。少年はそれに嫌な顔をせず、至極愉快そうな顔をして茶々を入れたり、質問をしたり、自分の意見を述べたりしていた。
 神子が甘んじて受け入れていた"日常"とやらを、私も受け取ってしまったのだ。
 だから、これは、そう。絆されたというやつではないが、きっと似たような感覚だ。

「えーん、えーん。」

 目の前に、明らかに棒読みの泣き声を発している子供がいて足を止める。
 白々しい。そう思ったが、相手の正体に気付いた私はそれを態度に表わさず、子供に近付いた。

「どうした。」
「さっき、たくさんあそんだから、おなかがすいて、力が出ないんだ。えーん。」
「そうか。自業自得だな。」
「きみは、たべてもいい、にんげん?」
「いいや。だが、そうだな。」

「私も、"お腹が空いたんだ"。」

 私の答えた内容をお気に召したのか、少年はおよそ子供とは思えない醜悪な笑みを浮かべた。騙すのであれば、もっと旨くやれば良いものを。所詮人間ではない者に人間の子供の真似事などできるわけがないのだろう。

 魔王グーラ。
 金の髪をした旅の賢者が言うには、かつて原初の悪なるものが産み落とした"世界を破壊する兵器"の一つらしい。彼の者に与えられた役割は"貪食"。そこらへんにあるものを片っ端から喰らい尽くし、後には何も残さない。人であろうと、大地であろうと、神であろうと、全て等しく腹の中。
 だが、そんな魔王でも喰らわないものがあるらしい。

「あははっ、じゃあ、ぼくといっしょだ、ねえ?」
「ハ、そうだな。」

 それは、自分と同じように"飢餓に怯える者"。
 私はいつの間にか、飢えることを恐れるようになってしまっていた。全て、黒髪の少年が"日常"を私に教えてしまったせいだ。
 だから私も少年のように身の程を知ろう。私にしかできないことをやってみせよう。私ができること、私にしかできないこと、それは"神子にとって理解の出来ない最悪の敵"になること。あの神子の踏み台になるのは聊か腹立たしいが、まあ、

「じゃあ、ぼくとなかよく、しよ。いっしょにたべよう、いっしょにあそぼう。」
「いいだろう。」

 きっとあの少年は面白がるのだろうよ。
※プティサネー:大麦の煮汁
2018/11/26
2018/11/30:誤字修正。
2020/01/22:誤字修正&文章一部訂正&追加。


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